「日本ドラマ考察」の人気記事ランキング
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─本動画の構成─
0:00〜 1:わしの家=家康を描くも一向一揆へ
11:56〜 2:如何様描かせたら最強の古沢良太
22:20〜 3:2つの小さくも大きな伏線
24:50〜 4:第7話でおもしろかったところ
36:35〜 5:「大河ドラマ」アニメとオープニング解説
40:23〜 6:音楽・効果音解説
41:18〜 7:第8話はどうする?
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─<<<「どうする家康」 関連動画>>>─
「どうする家康」予習解説
「どうする家康」徹底解説
「どうする家康」物語解説
「どうする家康」俳優名で解説
「どうする家康」総括解説
「どうする家康」演出解説
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※画像使用について
動画内で使用している画像はNHKが公式に発信している画像のみを引用の上で使用しております。
スクリーンショット等の画像は使用しておらず、著作権者は(C)NHKとなります。
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#どうする家康 #徳川家康 #松本潤
#有村架純 #松重豊 #岡部大 #大森南朋
##杉野遥 #山田裕貴
#松山ケンイチ #市川右團次 #松嶋菜々子
#日本史 #歴史 #古沢良太
解説の中でヤギシタさん「私は無宗教です」と言っておられましたが、確かに今の若い人を中心して「私は信仰している宗教はない」「神などいるわけがないし、私は無神論者だ」と公言している人が多数おられます。
本当にそうでしょうか。
確かに私たちが宗教に接する時といえば、正月に神社へ初詣に行く時、節分で豆まきをして鬼退治をする時、進学や就職で合格祈願をする時、新小学1年生の学業成就・交通安全のお守りを身に付ける時、結婚式で永遠の愛を神様や仏様の前で誓う時、出産の時の安産祈願、クリスマスでキリストの誕生を祝う時、大晦日で除夜の鐘をついたり聴いたりする時、葬式や法事の時等、各イベントには何らかの形で宗教と関わりあっています。
何故でしょうか?
私たちは人生で困った事や不安な事によく出くわします。その時、人はどうするでしょう? 自分の力だけで解決できるのなら良いのですが、自分の力だけではどうすることも出来ない事(入学試験や就職試験等)の時は何かに縋りたい気持ちが起こるのではないでしょうか。それが宗教であり神仏なのではないでしょうか。宗教や神仏が問題を解決してくれるわけでもなく、救いに手を差し伸べてくれるものでもありません。でも、私たちは宗教や神仏に縋りたいのです。そうすることで心を安心させるのではないでしょうか。そうでなければ心配事や不安な事で精神破綻を起こしてしまうかもわかりません。
私たちの心の中には程度の差こそあれ、神仏を敬う心が存在していると思います。
でも、私たちの不安な心の隙に忍びこみ、不安な心を一層煽り立て、問題を解決する為に何の価値もない物を高額で売りつけたり、高額な寄付を要求する輩がいることも事実です。
こんな輩に騙されてはいけません。
あくまでも宗教は人の心を安心させるものであり、不安を煽り立てるものではないと、私は思います。
この解説を見てから本編をもう一度見直すのがルーティンになっているんですが、見直して気づいたことが。
家康と空誓が対面して話した後「千代、後で来いよ」と言って去っていく空誓を睨み付けるような目で千代が見ていたような気がします。
その後、ジャイアン盛綱の横に立って家康たちを見ている時もなんだか意味深な顔をして笑っていたり。なんか謎めいていて気になりました。
いつも楽しく視聴させていただいています
解説内容の中の 妻達の一向宗の噂話について ありがちな会話というのに納得
でおもしろいと思いましたが 昭和のばばぁ という言葉に とても嫌な気持ちになりました いろんな年代の方が視聴されていると思います 悲しい気持ちになりました 昭和のばばぁ より
ドラマの中で、年貢(税金)が免除される権利のことを「不入の権」と言っていましたが、「不入の権」とは領域内に如何なる公権力の介入を排除する権利のことで、今でいう「主権」のことで、11世紀に民衆が獲得しています。つまり、領域内に独立した「小国家」があるようなものです。家康の家臣たちが「一向宗の寺の中は我々も手が出せない」と言っていたのは、正しくそのことです。
年貢(税金)が免除される権利とは「不輸の権」といい、9世紀後半に成立しています。
「不輸の権」と「不入の権」は獲得した時期も違いますし、概念も違います。
現在、学校では「不輸不入の権」として一体化して教えていますのでよく混同されていますが、全く違う権利です。
このことはNHKや時代考証に抗議すべきかと思いますが、少なくともこのチャンネルを視聴されている方には理解していただきたく投稿いたしました。
お代の方は松嶋より真矢みきさんにしてほしかった❗血のにじむような努力をして宝塚男役トップの真矢みきさんに、舞台1度もやらない松嶋菜々子は足元にも及びません❗今後松嶋菜々子はあまり出てほしくない。どうせずる賢い事でイケメンの母親役をゲットしたのでしょう。春番組で今度は山田涼介の母親役をつかんだそうです。どう考えてもしたたか者としか思えません‼
ヤギシタさん、踊れるくらい回復されたようで良かったです😉
今回印象に残ったのは千代かなあと思います。
カルト宗教的な集まりの中でひと際目を引く存在だったと思います。
妖しげな踊り、話しかたや佇まい…次回の三河一揆へ
大きく飛躍する人物なのかな。
瀬名と家康の仲睦ましい様子も微笑ましいなあと思いました。
今回は古沢さんなりの現代の経済や反戦のメッセージもあったのかな?と思いました。
家康の「戦をしたくてしてるのではない」「戦をせずに済むにはどうしたらよいか?」というセリフがあったと思います。
戦国時代の大河ドラマであろうと古沢さんなりのメッセージがあるのではと感じています。
(私だけかもしれませんが)
農民達のストレス解消の場所だったのかもしれないですね❗今の様に娯楽も少なかった時、現代でいうクラブとか宗教団体の会員の交流の場所やイベントの働きをしていたのかもですね🎵何時の時代でも踊る行為はストレス解消になりますよね🎵
今回のオープニングアニメについて
大河ドラマのロゴから2匹の蟹が現れました。冒頭で家康の子2人が神を捕まえてきましたが,今回の話のどの部分を象徴しているかを考えてみました。
家康のきている着物にロゴと同じ蟹が描かれていたことから,蟹は家康を洗わしているように思えます。
おそらく蟹は前に進めず横に動くことから,物事が前に進まずあらぬ方向へ進むことを示唆しているのではないかと思います。
2匹というのは,財政面と三河統一に向けた軍事面ではないかと思いました。2匹については他のご意見もあるのではと思いますので,みなさんのご意見も聞いてみたいを思いました。
三河には悪いネズミがぎょうさん〜 と言われていましたが、対して家康も
『こちらには頼りになるネズミもおるんじゃあ!』と言い返したかったところですよね😅
(すっかり大鼠推し)
今週の古川琴音さんもなかなかのカリスマ性有りましたけど、
しかしクーセーの有るくうせい上人(失礼)
小平太のシーン、こいつこんなところではリーダーシップ取るんだ。って言うwww
戦国期の庶民において,仏教の戒律を守ることは非常に困難な時代でした。
浄土真宗では,阿弥陀様はこの世のすべての命を救うことを本願(真の願い)としています。つまり,仏教の戒律である「生き物を殺さない」「他人の者を盗まない」「不倫や浮気をしない」などを犯した者であっても,阿弥陀様は救って下さる。(他力本願)というのが基本的な理念です。そこで,人は常に戒律を守り抜くことは困難で,それに反した人がすべて地獄に落ちたのでは誰も救われない。だから阿弥陀様のお力にすがりましょう。南無阿弥陀仏となるのです。
これを当時の庶民に向かって分かりやすく説法するのが門徒(信者)獲得の重点事項と捉えていました。ドラマとして誇張はありますが,空誓上人の説法はまさしくこれを上手くアレンジしていたと思います。掴みの下ネタは自分も皆と同じ人間であることを,捨てられた子への同情は理不尽な世の中で苦しむ人々への共感を,子を捨てた親への怒りは人としての理想とその道を外れることへの嫌悪を,子を捨てた両親への共感は貧しい営みの中で戒律を犯してしまう人々への慈悲を示していたと思います。
その慈悲にすがろうと,人を殺めた者,盗みをはたらいた者,不義密通をはたらいた者,つまり戒律を犯した者が救いを求め,上人が救いを与える。上人≒阿弥陀様になっているところが論理のすり替えです。しかし,そこにすがらざるを得ない貧しい庶民から熱烈に支持されたのが当時の一向宗であったと思います。
一方でその教義を拡大解釈し,どうせ救われるのなら積極的に戒律を破り快楽主義的に生きた方がよいとの誤解を生むことも多々あり,開祖親鸞の子でさえ,その心得違いのため破門されたとしています。今回はこの点が強調されていたように思います。さらに,一行門徒の既得権益(不入の権)を侵す家康に対する怒りが一揆へと発展し,それが門徒にとって一向宗そのものへの攻撃と捉えられて激しい抵抗につながったことが巧妙に描かれました。
その布教の中で,踊り念仏が活用されたのは全く教育を受けていない庶民にもその教えに興味を持たせるためのものですが,千代の踊りは出雲阿国にを彷彿とさせ,庶民の踊りはどこかええじゃないかを想起させました。
また,寺を守る堀に蓮の花が咲き乱れるなど極楽感を演出していました。
一つ疑問だったのが,門徒が皆,黄色い布を身に付けていたことです。黄色は仏教において重要な色ではありますが一向宗の色という認識はありませんでした。これは中国の漢の末期の黄巾の乱を想起させました。宗教(五斗米道)を背景とした反乱という点では似ていると演出したのでしょうが,この点には疑問が残りました。
一向宗(=浄土真宗)は、たしかにこの頃まだ新興宗教、カルト扱いだった
空誓上人は蓮如上人のひ孫だと、いってましたね。蓮如さんにまつわる地元民としては嬉しかったです。
家康の施政方針が「防衛費を増額するために増税する」って言ってるどこかの国の政府と重なっているようにも思えたのは勘繰りすぎでしょうか?
藤吉郎は確かに「ヤバいやつ」かもしれないけど「頭のいいやつ」だよね。って描かれているように思いました。
一向宗ですが、カルトでもなんでもなく浄土真宗ですので、むしろ、なぜ浄土真宗が数ある仏教宗派の中で日本で最大と言える広まり方をしたのかがわかりやすく描かれていたと思います。何よりも人々の苦しみに寄り添い、今が苦しくても極楽浄土が待っていると説き、救われる方法はひたすら念仏というシンプルさ(誰でもできる)が受け入れられたのだと思います。
「今川氏真の立場になってみましょう」と言われたような観点、つまり家康目線ではなく(家康の敵であるカルト集団としてではなく)見てみるべきかと思います。
ちなみに、我が家は浄土真宗です。私は無宗教に近い人間ですが、葬式など、様々な場面で特にお年寄りが「南無阿弥陀仏」と繰り返す姿を見ていますので、あの上人の説法を「洗脳」「カルト」ととらえるのには違和感があります。むしろ互いの正義が相容れない様、そして争っていく悲しさを私は強く感じました。
いつも解説ありがとうございます。
今回印象に残ったことをいくつか…。
まず、於大の方が一生懸命瀬名にマウントを取っている中、家臣たちが「お方様、お方様」と次々にやってきては野菜やら卵やらを持ってきたシーンが面白かったです。
家臣にしてみれば、於大の方は家康の母親ではあるものの所詮外部の人。対して瀬名は、駿府で苦労してきた大切な主の妻。その対比の仕方が印象に残りました。
それから藤吉郎ですが、奥さん戻ってきてよかったですねという話をしている時の、いかにも育ちが悪そうな下品な感じが、松本家康のお坊ちゃん感満載の品の良さと対比が効いていると思いました。
そして何より一向宗のパートは、とても記憶に残りました。
まず、本證寺の寺内町の外観が圧巻でした。今回の大河で、ここまででは一番CGが効果的だった気がします。
実際にあの辺りは、当時は湿地帯だったそうで、まるで水に浮かぶ西洋の城塞都市のようでした。あれを見た人は、極楽浄土とはこういう所なんじゃないかと思わされたんだろうなと、幻想的で俗世とは違う場所という演出が伝わってきました。
空誓上人が現れてから、特に踊り狂っている時の民衆の恍惚とした表情で、ある種の気持ち悪さを、ドラマとしてはいい意味で感じました。
また、千代のミステリアスな表情が、カルト的な集団の象徴のようでした。
特にピントが合ってない時の目や口の動きに、この人何を考えて、この先どういう動きをする人なのかな?と、とても興味を引かれました。
そしてなんと言っても、空誓上人のカリスマ性と胡散臭さ!
特に家康が話したがった時の様子が、まあ胡散臭さMAXでしたね。
偉いお坊さんが、饅頭か何かを食べながら歩いている姿はすごく俗っぽくて、違和感しかありませんでした。
また、家康と話した後、千代に後で来るようにと言ってたことが気になりました。普通に考えれば、何か用事があるのかな?くらいですが、ちょっと性的ないやらしさを感じ、それが胡散臭さに拍車をかけていました。
家康も、寺から無理矢理年貢米を取り立てた後、満足そうにしていたのが、若さゆえの青さを感じさせて、次回味わうであろう挫折がどんなものか、展開が楽しみになりました。
千代が何とも魅力的でした。信濃武田の忍びとの仮説も飛び交っておりますが。服部党の女大鼠と千代の対決を妄想しております。
ヤギシタさんは一向宗(浄土真宗)のことをカルト宗教のように言っておられましたが、それに対して反論させていただきます。
私は仏教系の大学(学部は仏教系ではありません)に進学し、1年生の時に必須科目で仏教そして浄土真宗の教義を1年間学びました。
法然上人や親鸞聖人が浄土宗や浄土真宗を開かれるまでは、成仏しようと思えば厳しい修行をしたり、座禅を組んで無念無想の境地になって悟りを開くか、大寺院を建てたり、寺に多額の寄付や寄進をして仏教を広めることに貢献することだと思われていました。しかし、その日その日をかろうじて生きている貧しい農民や一般庶民は、修行をするような時間もないし、寺に寄付をするような多額の財産も有りません。それどころか、生きていくために鳥獣を狩ったり、魚を釣ったり、植物を採取して平気で食べて、仏教で禁止されている「殺生」をしています。こんな悪行三昧の生活を送っている「悪人(犯罪者のことではありません)」である農民や庶民など仏様が救ってくれるはずもなく、死んだら地獄に落ちるだけだ、と思われていました。
しかし、法然上人や親鸞聖人はこのような「悪人」こそ救われるべきで、阿弥陀仏の救済を信じて「南無阿弥陀仏」と唱えれば、必ずや阿弥陀仏の手によって極楽浄土へ導いてくださる、というものです。
ドラマでも空誓上人が民衆の悩み(悪業)を聴くと「なあに心配することはない。こんなことなど阿弥陀仏はすべてお見通しで、必ずやお前たちを極楽浄土へ導いてくださる。さあ、みんなで南無阿弥陀仏と唱えよう」と言って浄土真宗の教えを説いています。簡単に言えば「他力(阿弥陀如来)本願」「悪人正機」が浄土真宗の教えです。
徹底解説で浄土真宗はカルト宗教ではないし、念仏踊りによって一揆を起こさせようというものがはない、ことを簡単で結構ですので説明していただければ幸いです。
解説ありがとうございます。
だんだんとギャグっぽいセリフや演技が増えているような気がします。
個人的には 家康の子供達が於大の方を ばばさま と呼ぶやいなや
ばばさまと言うな的なやりとりを しつこいくらい繰り返して まだ言ってるわと思いながらももう一回言ってくれるかなって妙に期待した自分がいて 一番好きなお笑い部分でした。
今回は2つの恐いがありました
1つ目は信長、1週おいての登場でしたが一段と凄みを増していて
画面に信長の顔が映し出されると
「こわっ!」と思ってしまうくらいのオーラが!従来の信長のイメージを岡田君の演技力でより鮮明に表現してますよね。
一方もう一つの恐いは秀吉。
木下藤吉郎時代は軽いイメージの
キャラは従来通りですが、目が笑ってない(恐っ)腹に一物もニ物も三物もありそうなキャラをムロさんが見事に演じられてます。
従来のイメージの下足番から
太閤まで出世した努力の人とは
イメージが違うような…
個人的な勝手な深読みですが
真面目に努力している人が報われなく、計算高く賢く世の中を渡っていく人が出世する、そんな今の
世の中を反映した秀吉像に
作り上げる演出なのかな?と
思ってしまいました。
今回の話でこの時代の人たちがちょっと怪しげな宗教に救いを求めてしまう理由がなんとなくわかりました。そして一揆を起こしてしまう流れもわかりやすかったです。
空誓さんの話し方、話の持っていき方のうまさに皆洗脳されたような状態になるのも説得力がありましたね。
それと、役者さんたちの三河弁が違和感なく聞こえてすごいなと思いました。特に空誓さん役の右團次さんがネイティブのような発音で良かったです。
次週、一揆が起こって家康がどうするのか、どうなるのか楽しみです。
市川右團次さんの三河弁のネイティブさに驚きました。
私は生粋の三河人ですが、右團次さんの三河弁は微妙なイントネーションまで完璧で、まるで祖父や近所のおじさんが話しているよう。
気になって検索したところ右團次さんのブログに、『人間性を出したくて、方言指導をお願いした』とありました。
ヤギシタさんのお話にあった(説法の)洗脳までのプロセスに、独特の方言を使うことで親近感が出て説得力がプラスされたんだと思いました。右團次さんの狙い通り。役者さんてすごいですね。
楽しいイベントに、ひかれながら、話で
自分が気持ち的に救われると思うと
こと
楽しませる時一般の今でいう社交ダンスやブレイクダンス時代劇でも
芸能は楽しみだったんだなと気分あかるくしてくれるいいみでひきつけられる話でした
夏目広次は初回から仕込んでますよね。
エピソードが一つ増えるたびに、すでに泣けて来ます。
考え方はいろいろでしょうが
私は洗脳とは、人殺してもいいと教えられたり
高いものを売りつけるとか
宗教などのため弱いものに金で救いを買わせるとかことに載せられることと思っています
本来の昔からの宗教は
弱いものに平安を与える
今回僧も
者売りつけるとかしないし
私にはオカルトには思えません
民が苦しい中で
いきていくただ助けをもらうこと願う
しかし貧しくても子fどもを捨てたりは反省だ
思っただけで都暴威に走ったのではないから洗脳されたは
されたとしても最近の話題になるようなひどい洗脳とは私は思いません
あくまでも私はでみなさまは自由です
ただ聞いた話では
南無阿弥陀仏は浄土真宗しか
一向宗をりようするはおかしい
一向宗は熱心な人浄土真宗にとびつくのか
こちらがあるので胡散臭い
今回も楽しく解説してくださりありがとうございます
毎回楽しく拝見しております。
以前私は、「どうする家康」の設定を松平家(徳川家)という
地方のいち中小企業が大企業へと発展していくストーリー
として見ている申し上げました。
その視点でいくと、今回第7話は松平家の中で特に力を持っている
一向宗という名の「労働組合」と家康若社長との対立を描いている
ように見ておりました。
ヤギシタさんはお若いのでピンと来ないかもしれませんが、
昔(昭和の時代)は企業内に力の強い労働組合があり、幅をきかせていた
会社も珍しくありませんでした。
経営状態が苦しい松平家において、一般社員(ドラマでは一般農民)に
賃金カット(年貢の取り立て)を行っている一方で、一向宗という労働組合は
既得権益で守られている。その労働組合にも同じく賃金カットを若社長が
要求しようとしたところ、思わず一向一揆というストライキ(?)にまで
発展し(挙句には本多正信という部長までも組合側に加担してしまい)
企業内がガタガタになる・・ という感じです。
後半のシーンで、家康が空誓上人と話し合っている場面も、
「あぁ、若社長と組合委員長とが折衝している!」
と思いながら見ておりました。
今回の 古沢脚本で唸ったのは、三河一向一揆がなんでおこったか、というプロセスを丹念に描いてくれたことですね。
家康の変装・潜入劇は一見、単なるお笑い演出のように見えますが、一向衆の首領の「空誓上人」と直接対決させる、という劇的効果がありました。これはもちろん、フィクションを重ねていかないと、成立しないシーンです。
私も「カルト宗教」の肩を持ちたくはないのですが、あのディベートに関する限り、公平に見て家康の判定負けだ、と私には思えました。一向宗コミューンのほうの主張に分がある。これは正直、やられた、と思いました、脚本の上手さに。
確かに空誓上人はかなり怪しげな人物ですが、「オマエとオレと、どちらが現実に民衆を救える?」という問いに、家康は答えられていません。何度も言いますがカルト宗教の肩を持つつもりは毛頭ありませんが、この場面に限っては、市川左団次の貫禄勝ち、と見えました。
しかし、家康は「言い負かされた」とは思ってない(思いたくない、プライドがあるから)。そこで「こいつらは邪教だ、自分がが正義た」と無理に思い込んでしまった。これで、家康の「若気の至り」感が強調されています。
人間、自分の正当性に自信がないときほど、逆にムキになるものじゃあないでしょうか。乱暴な方法で年貢徴収を強行した家康は、明らかにしくじっている、と言っていいでしょう。
家康の人生最大の危機は、家康自らが招いたんだ、てことを、今回の脚本は冷徹に描いている、と見ました。
単純な「詐欺」とか「イカサマ」ではないですよね。そんな単純なものの見方で良いのかな?
今回、面白かったのは、有村架純さんのたぬき顔メイクでした。しかしいまだかつて、こんなかわいい築山殿が演じられたことがあったでしょうか?歴代の築山殿のキャスティングを調べたところ、池上季実子さん、十朱幸代さん、高島礼子さん、三人とも極妻女優です。そして菜々緒さん、Missデビルです。凄みのある歴代築山殿に対し、かわいい有村さんの築山殿、あの悲劇にどうつながって行くのか、楽しみです!
わしの家だから何しても良いんだ!最初のうちはそう思ってはいなかったけど、空誓に焚き付けられたかな?一向一揆武田が裏に暗躍していたのかな?
今の正義感・倫理感では、一向宗による自治は先進的で”正義”・戦国大名による統治は”悪”、と解釈せざるを得ないのではないか、だから従来この時代の戦国武将たちをヒーローとして描くドラマでは、一向宗の自治や一向一揆を描くことから逃げてきたのではないか、しかし今回はそれを描くとなると、踊り狂うとかのヤバい特徴を表現することでカルト集団と表現して乗り越えようとしているようですが、果たしてそれが成功したのかどうか、私は、今回を見た限りでは余り上手く行かなかったのではないか、と思いました。
各家庭で、子供が「こっち(:一向宗自治地域)の方が皆んな幸せそう。松潤はこれを壊すの?松潤悪い奴じゃん!?」と云って大人たちが困っている光景を想像しました。
(なお、うちの宗派は、一向宗(本願寺)ではなくて、徳川と同じ浄土宗(知恩院)です。)
世界情勢奇々怪々
日本国民生活劣化一直線
今回はまるで現代にも通じる内容だね
いつも楽しく拝見しております。
今回の一向宗の描かれ方新鮮でした。寺社勢力の繁栄ぶりと時の権力者にとって目の上のたんこぶに思われていくこと。民衆にとって寺社は救いを求め食事を与えてくれる存在(好印象)、権力者は年貢の搾取と戦での人員動員(悪印象)と対照的な流れで一向一揆へ向かっていく前段は良く理解できました。これから信長と石山本願寺との長い戦いもあり、仏教勢力に嫌気のさした信長はキリスト教を容認する辺りに流れていく布石のようにも感じました。
いつも楽しみに視聴しております。今回はヤジシタさんの体力があるのを確認でき安心しております。今後も無理せず頑張って下さい(小生54歳のじじいですが・・・)
今回の「わしの家」を見て疑問に思った点がひとつ。
初めて本證寺に行ったときに、家康が薄青いガラス片みたいな物をじっと見つめていました。これは、今後の何かの伏線なのか?今までの回収なのか?わかる方、教えてください。かなり気になりました。よろしくお願いします。ちなみに、うちも昔、ネズミがいましたよ。
今回の話と逸れますが仏とキリストを利用して口上手く金儲けした奴らが現代の情報社会でも後を立たないのに、情報が少ない戦国の世で宗教ごっこで農民達を洗脳しながら上手く暮らした輩はいっぱいいたんでしょうね〜。
未だに鎌倉殿の十三人や麒麟が来たが心に残っていて、どうする家康の軽い感じに入り込めないでいます。
改めて大河の主演者って大切だと感じます。
ドラマが終えて、数時間で、この、まとめ方、素晴らしいです
ヤギシタさんが踊っている解説も面白く、解熱され回復したようで嬉しく思います
食べていくのに苦しい中で華やかな一向宗に興味や関心を持つ人々が、まるで洗脳されるように集まっていく気持ち、分かるような気がします
小平太と平八郎の対比も面白かったです
三河の家の中で謀反をする人々がいたり、一向宗の実態を直接、家康が見に行き、年貢を納めるように言ってしまい家康だという事がバレてしまう
三河の家の中で、一向一揆に繋がっていく
家康は、いろいろな経験を通し成長していくのだと思います
解説ありがとうございました😊
宗教によって救われたって言う人の事は否定しませんが、人が何も考えないでのめり込む危うさを、ドラマとヤギシタさんの解説でこういうカラクリもあるのだと言うことを、心のどこかに留め置いてもらうのには、この解説はほんと保存版ですね
ヤギシタさんにお願いです。
毎週のドラマの最後次週予告のあとで、家康の兜の顔の部分が一瞬ですが次々と登場人物顔に変わって、次回のお楽しみというエンディングになっていますが、このドラマ演出についての
解説をお願いいたします。
冒頭の、瀬名の元康から泰康に改名したらに対して、家康のお前は変わったおなごじゃのう、というポームドラマ風の出だしから一転してガラリと変わり目付きが鋭くて見るからに怖い信長と、農民出身の人懐っこいキャラクターではない反逆者を平気で足蹴にするような情け容赦無い、後の残酷な秀吉を思わせる藤吉郎の登場が、次回以降の波乱の三河国内統治への道を想像させてくれました。
ヤギシタさんがずっと踊っている😆レアな回でした。自分も嬉しくなってきました😃♪
他ドラマの話ですいません、ブラッシュアップライフでドラマの出演者名前順の話が出てきて、ヤギシタさんのオープニング解説思い出しました。スタッフさんも頭を悩ませて作っているんだなぁとふふっとしてしまいました。
千代=望月千代女説が出ていますね。
歩き巫女千代女が正体だとすると、初回で三河を探らせようとした武田信玄の策略になる訳ですから凄い爆弾伏線ですよね。
一向宗すら実は踊らされていた、という暗喩なんでしょうかね。
だとすると千代が中盤の最後なのはわかりますよね。
空誓上人より敵としても格上ですから。
信長、藤吉郎も見つけられなかった白ネズミ(禰津流の忍び)の洒落も意識してますよね。
おはようございます。
何時も楽しく視聴しています。
今回も伏線あって、面白いですねー。夏目広次に関しては、先週放送された、座談会で言われてた、これから撮る歴史上のシーンでの刷り込みかなぁ。
後、オープンニングの名前順でヤギシタさんが言ってたけど、千代は今後、くの一で使われるのかなぁー。忍者考証も入っているので楽しみです。田鶴も岡部も使ってくるだろうし、気になる脇役に期待しかないです。
なまんだぶなまんだぶなまんだぶ
松嶋菜々子演じるお大が瀬名や他の女中に対してマウントを取ろうとしているのは、戦国の習いとはいえ、1度離縁され松平家から追い出されてしまった自分の過去と、家来に慕われている現在の瀬名を比較して、嫉妬しているのかなと感じました。
一向宗のシーンでは木村昴演じる渡辺守綱が本人がドラえもんで演じているジャイアンのようで面白かったです。家康を叩いているシーンはさながらジャイアンがのび太をいじめているような感じが出ていましたし、最後に自分が叩いていた相手が家康であることに気付いたシーンはジャイアンが母ちゃんに怒られて凹んでいるシーンに見えたのが面白かったです。それだけに来週の一向一揆のシーンはより一揆の恐ろしさを際立たせるのかなぁ。
千代の役割が、「若者をカルト宗教やテロリスト集団に勧誘する女子大生」のそれですね。
瀬名の、聡明さと、人気からの悪女へのギャップ演技への期待楽しみな回でした~、家と、一揆を繋げるとは、新しい解釈やな!マツヤマケンイチは、しばらく出番なくなるからかな、特段意味なく出てた、秀吉、おもしろいけど、ふざけすぎ?
「イカサマ」の漢字、はじめて見ました笑
一向宗と本宗寺は、動画内でヤギシタさんもおっしゃってるように、現代のクラブのような場所として描いていたと思いました。
本当に生活に困窮して、仏に縋りたくて身を寄せる人(現代で言えば、他に行き場がなくてクラブに入り浸ってしまう若者?)もいれば、渡辺守綱や松平家の女性陣のように、「なんとなく楽しそうだから」「異性との刺激的な出会いを求めて」遊びに来る人もいるなど、いかがわしいが人が集まる場所の実態として、リアルな描写がされていて面白かったです。
一向宗の門徒は、カルト宗教の信者感もさることながら、半グレ集団っぽく見えました笑
「現世の罪は現世限り」の言葉は、浄土真宗(一向宗)の教えの核となぜ戦国期にあんなに広まったかをよく表しているとても重要なセリフでした。
他の仏教宗派は、苦しみの人間界での輪廻転生から解脱することを目指して、徳を積んで仏になろうとするのですが、
一向宗では、阿弥陀如来という仏様を信じていれば、現世の行いに関係なく、仏になり極楽に行けるという教えです(めっちゃざっくり言ってます)
気候が悪く、常に飢饉で隣り合わせであった上に、支配層は戦いに明け暮れている戦国時代で、仏になるために正しい行いだけをするなんて無理ですよね。
悪いことをしても、仏を信じれば極楽に行ける。現世では苦しまないように生きるんだ。と言われれば、苦しい民衆の心を鷲掴みだったと思います。
一揆を起こして、その戦いの中で命を落としても極楽に行けるのですから、一揆勢は死を恐れないバーサーカーになっていて、来週ではその辺りの不気味な一揆勢の姿も描かれるのではないか、と期待しています。
そして、この一向宗の教えって、今作の本多正信とものすごく相性良さそうで、この後の歴史を知ってる立場としてはニヤけてしまいます笑