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日本のプロレスは、力道山のデビューから数えると70年以上、アントニオ猪木とジャイアント馬場の独立からは52年が経過した。戦後のプロレス史を振り返った時、ある種の「頂点」を迎えたとされる1983年のプロレス界。
今回は、強烈な輝きの一方、暗黒を同時に演出したこの「1983年」を、あらためて検証していく。
まず前提として理解しておきたいことは、当時のプロレスにとって、「テレビ放送」というものが、現在では全く想像できないほど、非常に大きな意味をもっていたということである。ただ、これはプロレスに限った話ではない。現代は地上波テレビ放送の影響力がなくなってきたといわれて久しいが、インターネットが普及し始める前の1990年代前半までは、音楽、ドラマ、バラエティ、スポーツなど、どんなジャンルであれ、テレビが人々の娯楽の中心だった。
そして、プロレス界にとって、1983年とはどのような年だったか。
それを簡潔に言えば、「馬場、猪木時代における“プロレス・ブーム”のピーク」ということになるだろう。
この年の新日本のレギュラー放送は50回。最高視聴率は2月11日のアントニオ猪木vsラッシャー木村&アニマル浜口&寺西勇、1vs3ハンディキャップマッチで25.9%。そして50回それぞれの視聴率の平均は19.2%。現代では考えられない高視聴率である。
#プロレス #猪木 #長州力 #前田日明
結局、猪木という人は「理不尽な暴力をしない力道山」なのかもしれないね。10代後半という人生を形成する時期に「力道山」が良くも悪くも染み付いてしまった。まぁレスラー引退後の人生を考えた故の事業でもあるから根底は間違ってないけど、学が備わってない分ズル賢い連中に嵌められてしまったのだろう。
やっぱり第1回IWGPは好企画だったと感じる。でもこの年、同時に崩壊の要因も孕んでいたと思う。
今思うと面白かった。人の欲とか、嫉妬とかリング外でぐちゃぐちゃしてた。あの頃から、猪木さんの神通力が衰えていった。
搬送されたのは東京医科大学病院ですよね?
時代と全てマッチしてたんだと思う
巨人や紅白の中継で視聴率が取れてたように、それ以外何も無かったからだろうね
新日本の選手・フロントの大多数がアントンハイセルを苦々しく思いクーデターを画策している中、親猪木派の筆頭である藤原喜明は、新日本の機関誌である『闘魂スペシャル』の選手紹介欄の夢を答える項目において、『芋の皮から豚の飼料を作る“よっちゃんハイセル”をつくる』とネタにしていたのであるw
もちろんクーデター派には一切関知せず。
クーデター派から遠ざけられた選手は親猪木の筆頭藤原喜明とトンパチ親分ドン荒川だけであった。
83年なら、もう千代の富士は横綱で角界第一人者。プロレス転向はあり得ない🙅 大日本プロレス構想は77年頃では❓🤭
なんだかんだ言っても全員猪木がいないと始まらなかったのが事実だと思う
地方巡業が大入り満員。タイガーのグッツが1日100万売れたそうです。レスソントンはなにしてるのかな。
ドラえもん→土曜日夕方に枠移動
メタルヒーロー→時間帯は変更したが平成ライダーの枠として継続中
ワープ浪漫→いろいろ時間帯移動して土曜日深夜に移動
必殺→来年はどうなるかわからないが毎年年始に放送
あの頃の黄金タイムの番組はハングマン以外残ってる。
ただ観たい番組は連続で放送してくれないとテレビ離れがどんどん進む。
なんで毎回ナレーションをクロスフェードさせてるの?
猪木の失神は翌日土曜の小学校で誰もが口にしてたな。。
何だかんだ言っても、迷惑をかけまくる猪木と距離をおくことができず、猪木に頼るしかなかったのだ。
タイガーや長州力の活躍もあるが、視聴率・人気獲得は猪木の存在が大きいと思う。
猪木は、天国で何を思っているだろう?
生身の体を使った娯楽の頂点だったってこと?
当時の全日と新日のリング照明から醸す興行形態の違いはブラウン管越しから子供心からでも感じて新日に関しては殺伐としたイメージがあって何故かタイガーブームには乗れなかった、私の2度目のマイプロレスブームは四天王からです
新プロレスはアントニオ猪木さんが創設したからある意味猪木さんの物なのだけれども、う〜~ん。やはり裸の王様でしたよね。しかし、それをもっと早く止められなかった周りにも問題が有ったのでは?クーデターを起こす前に…。
「新間寿営業部長のテーマ」なんてあったのですね、知らなかった。爆笑しました。プロレス人気が沸騰していた当時ならではですね。
佐山が失踪した時に会社の連絡(電報?)がシモノセキキエルが笑える😂
フジの新団体がそのメンバーで旗揚げしても上手くいかなかったろうな、やっぱりプロレス団体はバランスなんだと思うね、絶対的なトップがいてそこからピラミット式なっているほうがいいんだと思うね
この頃、売り興行は大会あたり400万円以上で売れたはずなのに古参プロモーターとの付き合いとハイセル関連の資金繰りの問題からイチ興行300万円以下で売っていて、営業背広組はやる気を失っていた、とは大塚直樹氏の弁。軍団抗争とタイガーブームで造り上げた黄金期はアントンハイセルという名の悪魔がもたらした人間関係の相互不信によって敢えなく瓦解した。この時のタイガーマスクってまだ最後の力を残していた猪木の存在すら揺るがせにしかねない危険で強大な存在に膨れ上がっていた。
この年は本当に色々あり、第一回IWGP開催でまさかの猪木の負けと、4月は藤波、長州、名勝負数え唄で長州がWWFインター奪取。8月にはタイガーマスクの突然の引退。更にクーデターと色々ありすぎた1年だった事を覚えてます。
あの頃のマットには闘いがあった。
全日本のカブキブーム、テリー引退フィーバー、そしてハンセンブロディの猛威も凄かったですね。新日本は興行も視聴率も絶好調だったが、肝心の猪木のコンディションは落ちていましたね。タイガーがインターしなければどんな歴史になっていたか。
4:36 後年のPRIDEでいう高田本部長のテーマみてェなもんか🤣🤣🤣
10:11 10:39 何故にアントンリブにアントンナッツ❓❓❓😩😩😩まぁ、アントントレーディングでも唯一金になりそうだったのはタバスコ位なもんだったし、それもハイセルの煽りを喰って売却を余儀なくされたからあながち間違いとも言えないけど
82~83年の【新日本プロレスブーム】で軸になっていたのは【タイガーマスク】【藤波vs長州】だった。
猪木は既に【蚊帳の外】になりつつあった。
この頃にプロレスファンになった層と日プロの頃からのファン層には越えられない壁が厳然と存在するな、理屈では過去を知れてもあの時代の空気感は共有は出来んよ🤦🤦🤦
タイガーの結婚問題だが、藤波と違って子供のファンが
大半のタイガーにとって結婚⇒即人気低迷になるとも思えない
もし新日本が多大な貢献に見合うギャラを支払い結婚も
祝福していたら違った展開があったのだろうか
「格闘技をやりたい」という佐山の根本的な野望は満たされないから
どの道新日本を飛び出す日は来たかも知れないが
新間さんが「プロレスブームじゃ無い、新日本プロレスブームだ」と言った黄金期でしたが
その崩壊はあっけなかった
まぁ地上波TVしか無かったですからね。今みたいに色んな映像メディアが有ったらこうはいかなかった筈。合衆国はもうこの頃多チャンネル化、ペイパービューが始まってしまったですから。でも面白かったです!佐山タイガー対虎ハンター、藤波対長州。
テレビ視聴率も凄いが、出版物も多かった。
情報誌が月プロ、デラプロ、ゴング、別ゴン、ビッグ、別ビッグ、エキプロ、別エキ。
それに個人もののプロレスアルバム。
月刊がなんと9誌も発売されていた。
加えてタブロイドの週刊ファイトにザ・プロレス。
月プロは7月に週刊化され、41年後の現在唯一の情報誌となっている(企画もののGスピやKAMINOGEなどは除く)。
金食い虫のハイセルのために窮していたはずなのに、翌年発表の長者番付のスポーツ部門で1位になった猪木(納税額およそ8千万、推定所得1億2千万円余り)。
驚くと共に不思議だったが、実は違法にならない範囲で会社の収益を猪木個人の所得になるように経理操作が行われたと、数十年後に明かされた。
世間一般にアピールしたいと常に考えていた猪木自身の意思によることなのかは分からないが、プロレス界というのはつくづく見栄っ張りだと感じる。
ハイセルの件は、周りに止める人はいなかったの?
それとも自分もうまい汁を吸おうと思ってて止めなかったのかな?
83年だと自分は小4くらいか。
プロレスを見始めたのは小2あたりからだったけど、観ていたのはほとんど全日本中心だったから、正直言って今回取り上げた当時の初代タイガーや新日の試合の記憶は、たまにしか観てなかったのでそんなにないですね。
月刊ゴングは読んでいたけどw
ただ、子どもながらに、猪木の失神はちょっと嘘くさいなあとは思っていましたw
年商20億円程度の企業なら赤字回避くらいの利益計上にしている企業、昭和から平成当時は結構ありましたよ。新日本が特別だとは思わない。それからブームと言うなら新日本プロレスブームだったと思う。全日本も見てたけどお腹が出た明らかに練習不足の日本人レスラー目立ってました。色々あったけど猪木さん生前に再集結出来る新日本プロレスは素晴らしい。全日本もUWFもNOAHも様々な理由で集まれないですもんね😢
この後のクーデターで新間さんを出した時から、猪木の思いつきアングルやブックが横行して迷走し、暴動を頻発しました。😭
やはり、新間さんの存在は大きかったです。
新間寿のテーマ曲ってなんだよ😂
アントニオ猪木 血液型AB型
ジャイアント馬場 血液型O型
団体経営に影響を及ぼしたと個人的に思っている😊
ハンセンの移籍は正解でしたね。
子供の頃、タイガーのマスクに手がかかるとドキドキしました
当時をリアルタイムで経験できたのは人生の財産だった。
この年に猪木はホーガンにIWGPでまさかのKO負け。
6月2日だから明日でもう41年経つのか。
馬場も9月にハンセンに破れてタイトル奪取された。
ここで馬場・猪木時代の終焉が色濃くなった。
新日は大盛況の裏で大変な状態だったのは皮肉。
猪木が客の気持ちが分からなくなったのはこの頃からだろう。
長州さんが全日マットに上がったのは衝撃でしたよ😃
あの頃は新日本も全日本も観てたけど、好きなのは新日本、猪木、タイガーの存在は大きかったな。
タイガーvsキッド、ブラックタイガー、小林邦昭は熱かった。猪木は馬場がNWAと関係が深い為に有名レスラーが呼べず自分で対戦相手を育てるしかなかったのは大変でしたね。やはり猪木とタイガーは凄かった。
新日本プロレスのファンが暗黒時代の話をしてあの時はひどかったみたいなこと言うけど、ちょっと待て。現在の新日本プロレスは完全に目ん玉飛び出す過去最大の暗黒時代ド真ん中ですよ。
IWGP決勝はリアルタイムで見てたけど、猪木の芝居だったとは思わなかった。
全員を騙す猪木のあざとさには感心したよ。
けど、長州力が、あそこまでブレイクしたのは今でも信じられないな。
タイガーマスク登場に強敵としてダイナマイトキッドやブラックタイガー小林邦明など
噛み合う相手を探してきて良く戦わせたと思う。これはマッチメイクした人の勝利だね。
あの頃の新日ジュニアは層が厚くて楽しい試合ばかりだった。
アントンハイセルへの不正流用 はなかったのだ。
山本小鉄とテレビ朝日出向役員 3人は実権を握ってアントニオ猪木達を 業務上横領で告発しようと考えてていた。しかし実権を握って経理を調べても不正なものは何も出てこないのだ。結局 アントニオ猪木は社長に復権することになる。こんな簡単なことがプロレス村とプロレスマニア はいつまでたっても何故分からないのか。いつまでたってもプロレス村とプロレスマニアは不正流用があったと思いたがる。記憶と事実の修正が出来ないのである。
まだ土曜日も学校がある時代で、金曜20時の新日本の中継を見ないと翌日の友達との会話に入れなかった。
新間さんが言う通りプロレスブームなのでなく新日本プロレスブームだったのだと思う。
全て猪木が悪かったのですね。
((( ;゚Д゚)))