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※本配信は「光る君へ」のネタバレを含みます。
≪今回お話ししているポイント≫
大河ドラマ『光る君へ』を
ドラマとしてまるごと楽しみながら
あちらこちらに散りばめられた
『源氏物語』のエッセンスを読み解き
わかりやすく解説させていただきます♪
今週の『光る君へ』は
タイトル通り、
様々な立場で母と子の姿が
描かれていました。
まひろと賢子
倫子と田鶴
明子と巌君
詮子と一条天皇
そして、彰子と敦康親王・・・
それぞれの場面を振り返るとともに
今回、私が一番感動した
まひろとききょうの
『光と影』論議について
考察してみました♪
最後までご視聴いただけたら嬉しいです♪
※以下のサイトから画像を使用させていただきました。
●NHK「光る君へ」公式
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/
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今回 白駒さんの、ドラマや当時の社会や文芸に関する解説は、とても心に染み入る素晴らしいものでございました。
定子さまの光だけでなく影の部分も知りたいというまひろ自身の意見は、意図せず左大臣道長の影の部分をききょうから引き出させてしまい、一言も言い返せないくらい彼女の心を縛り付けました。
この様なセリフ回しを築いた大石さん、恐ろしい程の才能だと思いました。
史実の持つ力と、ドラマでの再構築の力、そしてそれを気づかせてくれた白駒さんの解説。大納得の回でした。ありがとうございました。
光の当たる人を前から眺めれば光り輝き後ろに回ればその人の影が暗く長く映って見える,,セリフひとつひとつに人生哲学のようなものがあるなと思う脚本ですね。
道長自身も史実では悪人と言われる事が多いと思いますが大石先生は彼本人の側から見た道長と外から見た道長を描こうとしているのかなと感じます。
文学が政治の道具として使われはじめました。枕草子があまりに素晴らしくそれを伊周が使い始めた。それをならって源氏物語が素晴らしいものになり道長が使うという構図になると思います。文学って面白いものですね。目からうろこが落ちる気持ちがしました。
正しく「ターニングポイント」となる回で、倫子や彰子も変わっていく気配を感じた。
まひろは「枕草子」の始まりに関わっていたが、今回は、ききょうが「光は書くが影は書かない」と言ったのでまひろが自分が影を書く?という話になる。「源氏物語」にもききょうが関わっているというのが面白い。
「枕草子」には定子の死は書かれていない。つまり、ききょうや、それを読む定子の子ども達にとっても定子は生き続けている。人間にとって理想を追い求めるということも重要で、その後の後宮や人々に多大な影響があったことは間違いないだろう。
一方、人間は複雑で測りがたいもの。例えば、一条帝も詮子を母としての面からしか見ていない。肉親でも人の多くの面を知ることは極めて困難。当然、現実を下敷きにすべてをフィクションとして想像で書くほかはない。
問題は、なぜ「影を書く」のかということ。おそらく、人は身分の違いはあっても同じ人間、という気持ちが根底にあるのではないだろうか。頼通は宇治に平等院を建立するが、当時すでに、仏の前には人間は平等、という観念があったのだと思われる。
紫式部集35でなく41番では?
道長を直接批判することなく、定子中宮の光だけを書いて、それによって道長の影をあぶり出す『枕草子』…
絶対権力者になった道長に文学で闘う清少納言!平安時代もこんなに血湧き肉躍るドラマになるんですね!
式部(まひろ)と少納言の火花散る会話は紫式部日記で「清少納言こそしたり顔に いみじう侍りける人」と書かせたきっかけとなる場面かなと思いました。回を重ねるごとに益々面白くなるドラマだす。
従来の大河ドラマでは、政治闘争に武力というハードパワーを用いた世界を描いていました。
文芸というソフトパワーを用いた闘争でも、決して心安らかな世界線が登場する訳ではないなと、今年の大河ドラマを見て感じました。
賢子が竹取物語に興味を持ったのは、
父・宣孝との大切な思い出である
月見の記憶があったからだと思います。
清少納言と紫式部の作家性の違いは、
多くの示唆に富む話題です。
個人的には、清少納言が闇を書かない
気持ちにとても共感しています。
何故なら、定子は既にこの世にいません。
故人の闇を書き連ねるのは、
蛇足でしかないと思います。
一条天皇の胸中にも、枕草子の中の
光り輝く皇后・定子がいます。
もはや誰も敵わぬ存在になりました。
だからこそ、紫式部は枕草子とは
異なる視点から一条天皇の心を打つ
「なにか」を示さなければなりません。
ある意味、作風の違いがあるのは、
必然であったと解釈しています。
白駒先生、夏らしい装いですね。素敵です❤
なるほど、まひろが皇后の影の部分を知りたいと言ったら、キキョウは道長の影をドーンと返してくれたわけですね。カウンターショックですね。今度は、まひろが、定子帝の影の部分を桐壺の帝更衣として、源氏物語に描いていくわけですね。源氏物語を読んだキキョウの感想を是非聞いてみたいものですが、ドラマでは描かないかなあ。
まひろとききょうの「対比」の部分は本当に見応えがありましたね、まさしく「源氏物語」と「枕草子」の違いだ!と膝を打ちました。
ききょうが「定子の光だけを書き遺したい」という思いと、宣孝の北の方が「豪快で快活だった姿だけを覚えておいて欲しい」と言ったのは、根源的には同じものなのかなと感じました。つい最近、友人を亡くしたので特にそう感じるのかも知れません。
29回では、彰子様が敦康親王を抱っこして微笑んだ瞬間が素敵でした。彼女もまた「母として」目覚めた瞬間だったのかも知れませんね。