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日本史サロンでは日曜日のドラマ終了後、どこよりも早くドラマで描かれた内容の解説や今後のストーリーの前提知識を紹介しています。
※本動画は「光る君へ」のネタバレを一部含むことがありますので、ご注意ください
エンディングBGM:若林タカツグ様
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0:00 伊周の復帰
3:32 内裏の火災
5:43 紫式部 宮仕えの本当のワケ
10:02 紫式部の初出仕
13:16 参考文献のご案内・エンディング
についてお話しています!
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■主な参考文献のご案内
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
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山本 淳子『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか」』 (朝日選書)
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倉本一宏『藤原伊周・隆家:禍福は糾へる纏のごとし』(ミネルヴァ日本評伝選)
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■関連動画のご案内
【15回】少納言はどこから取った?/実資の日記に書かれた弓争いの勝敗 など
【最速復習】ドラマでは怒っていたけど…実際の一条天皇は喜んだ など
■今回の時代のキーワード
#光る君へ #大河ドラマ #紫式部 #藤原道長 #平安時代 #源氏物語
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■編集協力
・動画編集:ゆうだち様(glasses0612 @gmail.com )
・図解作成:いちごのへた様(ichigonoheta0224 @gmail.com )
※使用している背景映像は河原撮影ならびにフリー画像・映像素材・ライセンス取得済みの素材を使用しています。また、一部NHK「光る君へ」のホームページ(https://www.nhk.or.jp/kamakura13/)の画像を参考にAI処理したイラストを用いています。
※日本史サロンは、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。
早速の解説いつもありがとうございます😊放送を1回見ただけでは理解できないので、とても良いと思います🎉
まひろは、この後、人間関係でかなり大変になりそうですね😥女性ばかりの職場は陰険な人が多いから…。
火事のとき、彰子は帝の所にいたのですね💦道長や倫子は大丈夫だったのですね。みんなの住まいがよくわからず、ヒヤヒヤしました。
最後は、女房たち?が沢山いて怖かったです!
帝と彰子さまが二人で逃げたのは史実だったのですね!
川柳一句「友達と 肉体関係 辞めようね」(ごんだ ようこ)「すこやかに」
鏡と剣はそもそも「形代」だったのでは?確か鏡のオリジナルは伊勢神宮の御神体のはず。
解説字幕で見せてもらい、よくわかりました✨✨😊
質問ですが、
もともとは、為時の子として下級貴族だったけど、
為時の越前守就任と、宣孝との婚姻により、すでに中級貴族に格上げされていたということでしょうか
今回もまひろの執筆場面がありましたが、今さらですが、紫式部が左利きではなかったという資料は残されているのでしょうか?
これぐらいは、いまでもどこでもあることですよ。ただ式部はすぐに書くから。それがものすごいことのように伝わるけど、特別に道長と倫子の引きで入って来た人を、戸惑っているだけなのに、書くから(笑)。
でも源氏物語を皆が読み始めれば、これは流石な人だと、すぐに一目も2目も置いたと思いますよ。
まひろはその日記で、自分のことは極力抑えていたふしがあるけど、一行、中宮様と親しくなっていたことも、そっと書いてますね。型苦しい女御たちの中で、息つまっていたのは彰子様だったのかも。中宮彰子も式部と知り合って、自我が目覚めた、もともと優秀な人だったはずで、目覚めていったんでしょう。立太子の件とかで、道長に反抗したりもしだすのは、よかったことですね。
お父様も御苦労なさっているから。
為時お父さんの「お前が…女子であってよかった。」の言葉に涙があふれました😭まひろちゃん良かった😢✨
内裏の火災で天皇のもとに駆けつける者がいなかったとは、驚きですね。 2度の内裏の火事と合わせて、当時の一条帝に対する臣下や周りの貴族の面々の心持ちが表れているようにも感じられます。宮仕えは初めは誰でもきつく、清少納言でさえこたえたようですが、紫式部は周囲と打ち解けられず、執筆優先の特別待遇を妬まれてもいたようで、その居心地の悪さは想像できます。周りを身分の高い出自の者に囲まれる息苦しさ、ちょっと小馬鹿にされているような雰囲気、ミスを待ち望んでいるかのような意地悪さ、女だけの職場の難しさは、今もありますね。定子サロンと比べ、陽気なムードや笑い溢れる感じはなく、ちょっと堅苦しそうです。道長からの依頼で断れない、夫の死で自活しなければならず、居心地が悪くとも我慢する必要がある、そんな環境下名作が誕生した不思議、そんな不自由さがあったからこそ書くことに集中できた事実に納得します。
配信有難うございます。3:53~ご神鏡の八咫鏡が消失破損した内裏の火災は寛弘二年(1005年)だと思いますが如何でしょうか❓それにしても現在でも焼損した「残骸物」をご神鏡として安置しているのですね😅形は失っても神聖度は変わらないという考えなのでしょうか・・そして「彰子サロン」の堅苦しさに新風を吹き込むのも紫式部に期待された役割だったとは少し考えが及びませんでした。
事情があるとはいえ、乗り気でない出仕のうえにアウェーに近い環境で、さぞストレスフルだったことでしょう。古今東西、仕事で一番厄介なのは人間関係ではないでしょうか。