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普段映画・音楽についてはXでつぶやいています
Tweets by cinekoto
今回は2024年4月26日日本配信開始した
映画『悪は存在しない』のレビュー動画です。
予告動画
#濱口竜介 #ドライブマイカー #ヴェネツィア国際映画祭
#レビュー #考察 #解説
#movie #絶賛 #酷評
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※動画内で主演の大美賀さんは車両部だと話しましたが「映画監督」とのことです。
初日舞台挨拶の回で見てきて、大美賀さんは『偶然と想像』にドライバーで関わり今回もリサーチの段階からドライバーで呼んで監督と撮影と長野のロケ地を回ったと言っていたので、そう認識してしまったようです。失礼しました。
正直、舞台挨拶で制作側が大美賀さんが映画監督でもあることを言わず、メディア向けゆえに「ドライバーとして過去に濱口作品に関わった人物を2人もキャスティグしたこと(大美賀氏と小坂氏)」を強調したことが自分の勘違いを生んだのもあるとは思いますが、いづれにせよ自分が舞台挨拶という一つの情報で認識しようとしたことには違いないので、反省します。
何か推敲されないまま「やっつけ」で作った様な印象を受けました。
グランピング場の浄化槽問題云々に関しては、浄化し切れずキャパオーバーした汚水が河川に混じらないか?って事なんでしょうが、ぶっちゃけ排泄物は有機物だから、工業廃水と違って自然で分解されるわけで、村人の生活水に混じる混じらないの話は「自然vs人間」ではなく、単に「人間vs人間」の利益の衝突でしかないのでは?と思いました。
あと「鹿」に関してですが、今現在 地方では人間の開発云々とは全く無関係に鹿が増え過ぎて市街地や住宅街にまで出没するレベルで、マダニを媒介したり 農家の被害は当然として山林の樹木の表皮まで食べて山を枯らしてしまうレベルのクソ害獣化しているのが常識なので、「鹿」を「美しい自然の象徴」みたいに描くのは、これ作った人は「リアルな自然」を本当に理解しているのかな?と疑問に思いました。
自分なりのラストの解釈を書きたかったですが、自分と全く同じ解釈だったので書く事がありませんw
見終わった直後は訳分からんラストシーンでしたが「人間」と「自然」が接する境界点での諍い(いさかい)を描いてみたとすると、その関係性を敷衍(ふえん)し、資本主義と非資本主義社会の境界で起こる諍い。隣国との境界で起こる諍いは? と想像するのは大胆な拡張だろうか? そこまでは言っていないけれど、考えるきっかけにはなるまいか? とすると映画のタイトルも含め評価されたのではなかろうかという感想です。
コトさん、いつも楽しみにしています。
初見で視聴直後の印象です。ふたりが発見したとき、すでに花は手遅れの状態で、タクミは埋葬をしに行ったように思えてしまいました。
すでに、奥さん(であろう人)を亡くしているし、ひとりの時間多いし、「もし娘になにかあったら」というようなことを考えたことがあるような気もするんです。ぼんやりと、自分や、近しい人がどのように自然に戻っていきたいのかってイメージもあったのではないかと。
その「もしも」が起きてしまった瞬間に、都会からきた邪魔者が割って入ろうとする。思わずそれを排除して、邪魔されず最後を迎えるため森の中へと消えていった。そんなふうに思えちゃいました。
みなさんの感想見ていると、色んな捉え方できて面白いです。もう一回みたい。
昨日鑑賞しました
なにか他の役者に比べて高橋一人だけ役者然としたかっちりした演技なのが気持ち悪かったです。終始映画のバランスを壊してるような。ラストについてはとんでも考察ですが一番美しい場面を大声と赤い服で壊そうとした高橋が映画から排除されたようにも感じました。
失礼いたします。
監督の贈られたこのタイトル「悪は存在しない」の悪は、善があるからこその悪で、悪でしかないこの世であれば悪であろうとも悪ではないと思うのです。監督はこれを表現されたのではないのかな?なんて観賞後に感じました。巧と花の親子関係の冷えた感じを少ないセリフや二人それぞれの行動から感じた自身ですが、それが最後のあのシーンに繋がって行ったのではと思います。突然の重苦しさと映像美が重なりあった凄い映画だったとの感想です。
突発的なパニックとしての行動なのはなるほどでした。面白い。
自分は因習村ものとして見ていました。区長は自ら手を下さないが便利屋=ヤクザものに外ものを判断/排除させるような村ぐるみのグル感や排他性を感じました。もちろん企業の浅はかな計画が悪いんですけどね、、ワリを食うのは下流のもの、というのは村側も同じで、タクミ=便利屋が手を汚しているのかなと、、。オチとしては人間と自然の対立に置き換わっていて、猟という人間のエゴの代償を支払わされる、ワリを食うのが若い世代=花ちゃんだということなのかなと。
とりとめなくてすみません😂
ネタバレあり
黒沢清のようなホラー映画と感じました。美しい自然が謎の液体のように人間に侵食していく感じ?を心が病んだ巧という存在を通してリアリズムに落とし込んだ感じでしょうか。ドライブマイカーと同じく超自然的なことは起こらないのに、「何かが起こっている」感じ。
悪は存在しないというよりも、人間存在は全て悪という開き直りを感じた気がしました。
ラストシーンが衝撃的だったので半日経った今でも、余韻が残っています。シネコトさんの言われるように「匠 = 手負いの鹿」と考えて、自然対人の象徴として、匠対高橋の暴力シーンが生まれたと捉えると納得できます。。
私の観た劇場では、うどん屋で水を汲みに行く必要があるのに店主が行けないというときに、都会の2人が居るので「人手は足りてる」と匠が言うシーンで笑いが起こってました(私も爆笑しました)が、そういったユーモラスな場面のあとに、花の行方不明と例のクライマックスが始まったので、感情がかなり揺さぶられました。。
ハナの迎えが遅れてしまったのはカオルが不用意に棘のある木を触って手を切り、その手当をしていたせい。
カオルは鹿と人の触れ合いが出来るかもなどと鹿にとっては迷惑でしかないような浅はかなことを真顔で言う。
管理人をやってみたいなどと言うタカハシの言葉も土地の暮らしの大変さもろくに知らない都会の人間の安直な思いつきにしか聞こえない。
要するにカオル&タカハシと巧の心の距離は1ミリも近づいていなかったし相入れないものだった。
だから手負いの鹿は危険だという巧の言葉を聞いていながら手負いの鹿親子と出くわしてしまったハナを見つけて不用意に呼びかけて近づき鹿を刺激してしまうタカハシを黙らせ留まらせるため羽交い締めにして頸動脈を締めることに巧はなんの躊躇もなかった。そして結果としてタカハシも手負いの親鹿に角で刺されたハナも絶命してしまった。
いくつもの不運が重なって不幸が起きてしまったけど、悪意がそこに在った訳ではない。
という風にラストシーンを私は解釈しました。見方が表面的過ぎますかね。。。
役と俳優の境界が曖昧になったことで、「寝ても覚めても」のお二人が近付いてしまったのか…
ウィーンで観ました。みんなエンドロールが流れた時は「えぇ〜??」みたいな雰囲気になってました。
水やマキ木などの恵みをもたらす森が、夜になる違った表情となり人を排除する悪となり得る。タクミは夜の森の瘴気に当てられてストレンジャーである高橋を襲ったんじゃないかなと、いうファンタジーな解釈をしましたね。大人たちが懐中電灯を頼り夜の森の中でハナを探すシーンは映画ETに似たシーンがあったような気がしました。鹿のアップシーンはもののけ姫のシシ神を思い出しましたね。かなり、中二の拗れた見方ですかね笑
全編通して非対称的な物事の釣り合いを描いておきながら、最後に思いっきりそれを崩すっていう一種のカタルシスを感じました。エンドロールが短いのもその勢いを殺さない事に一役買ってる気がしますね!
花を襲った鹿が負っていた傷は、木のトゲによる物なのか、それとも鹿狩りで負った傷なのか(血のついたトゲはミスリードかも?と思いました)。前者なら自然の営みの中で起こったまさしく悪の存在しない事故ですが、後者ならそこに人間的な原因が生まれてしまうなーと思いました。とはいえ、動画でおっしゃっていた通り鹿狩りにも合理的な理由がある訳ですもんね~
お初にお目にかかります。
大変、興味深く拝見しました。
本作、わたしは中々腑に落ちなくて何日も考え込んでしまっているのですが…今思うことをお伝えしてみたいです汗
巧について、冒頭の正確な薪割りや、断定的な物言い、自然への知見から、どこか超人的な雰囲気を感じました。
また彼は、説明会で感情任せになりかけた仲間を止めたり、本人の発言にもあった通り、賛成でも反対でもないと中立の立場をとり、常にバランス、調和を重んじる人だと思います。便利屋、調整者という彼本人の認識もすごく近いなと。
グランピング場予定地が、鹿にとっては通り道であると伝える際も、意見ではなく、並び立ちにくい2つの複雑な事実を示しているようでした。
物語が人の悪意を一蹴し、理解し合える可能性を描いていく中で、不意に直面するラストは…自然そのものがあらわれる場面なのではと、今は考えています。
巧の行動は、あの瞬間保たれていたバランスが刹那的に崩れようとしたため、調和を取り戻そうとする振る舞いではないかと…感情的な納得感はあまりないのですが汗
辞書を引くと、悪には「不調和」という意味もあると知り、これは感情の向く先ではないなとゾッとしたんです汗
思い返せば、高橋の行動や発言は、終始彼の意思に反して、細かなことのひとつひとつから、周囲との繋がりを得られていなかったように思われます。
はじめ、わたしは彼が都市からきた「半矢の鹿」で、それを巧の認知の中で責務として、とどめを刺したのかと思ったのですが、恣意的過ぎるかと思い直してみたところ…
なかなか言葉にすることができないのですが、上記のようなことだったのか?と今も考えているところです汗w
霧の中を走る本当のラストには…自然の不条理な側面を意識させられたのですが、それでもあの曇った視点が花のものだと信じたいです…
音楽ブツ切りは自分もビックリしました……笑
「GIFT」では伸び伸びと演奏されていたので、恐らくそこでバランスを取っているのだと思います。
話は変わりますが、この映画に限らず海外用ポスターはどれも格好いいですね。
いつも楽しく拝見しています。めずらしく邦画のレビューをしていただき大変嬉しいです。これからも応援しています。
さて、本作は自然と音楽が美しく、いくつかのシーンの撮影手法に魅せられました。森の中から見上げた空の場面は、自分が上から下に流れていくような感覚になり印象的でした。
私のラストシーンの解釈は次のとおりです。
・花は、手負いの鹿に対してニット帽を脱いで挨拶(敬意)を込めて寄り添おうとして近づいてしまった(この場面が巧の推察とは思いませんでした)。
・巧は花が鹿に近づくことで鹿から攻撃されてしまうとわかったものの、自分たちが助けに入ることも危険だと考え、花と鹿に向かって声を上げて走り出してしまいそうな高橋を静止し黙らせるため、鹿が別の場所に移動するまで羽交い締めにした。巧は高橋を殺害するつもりはなかった。
鹿が銃で打ち損じられ、花が自然に立ち入ったことで悲しい出来事が起こります。もっとも、巧が花のお迎えを忘れず、一人になる花を誰かが気にかけ、花が遠くに行かなければこのことは防げたと思います。おじいさん先生は花に優しく注意していましたが、花は母を求めるようにまた鳥の羽を探しに行ってしまったようです。
巧はうどん屋の夫婦を助けたり、東京から来た高橋たちに歩み寄ったりしていましたが、一番身近な花との対話がもう少し必要であったと感じました。
冒頭の空は森の中を歩いている花の目線、ラストシーンの空は巧に抱えられている花の目線ということなのでしょうか… 花も高橋も助かると信じたいです。
予想と違って完全に単館系の作品でビックリしました。。
主人公の傲慢さを強く感じる結末でした。
水は低い所に流れるという言葉に感銘を受けながら低い所に流れるべき水を途中で汲み上げているのが彼ですから、
娘が自然の中で遊んで自然の中で傷ついたという個人的な悲劇からもともと反感を抱いていたグランピング場計画、
つまり土地を切り拓いて利用するという人間本来の営みを阻害するための口実となる物語を生み出したのではないかという印象です。
これだと彼が邪悪になってしまうので作り手の意図とはずれているかもしれませんが。
おもしろそうで、見たいけど、
公開日バラバラで、公開劇場は少ない。大阪でも、2館しかなくて😅
公開劇場少なくても良いけど、もう少し増やしてほしい