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13人の合議制のメンバーの1人でもある梶原景時は、66人の御家人たちによる弾劾状を突きつけられ、鎌倉を追われてしまいます。
そして、北条時政の領国である駿河国で、在地の武士たちによって襲撃され、その命を落とすことになりました。
梶原景時の変の後には、結城朝光、三浦義村の一族が恩賞にあずかっており、北条時政も自分の配下の武士たちが景時を襲撃していることから、彼らによる陰謀だったのではとの説もあります。
梶原景時の変の背景にある、権力を広げたい御家人たちと、頼朝以来の将軍独裁路線を守りたい梶原景時の、頼朝死後の政治体制をめぐる争いについて紹介します。
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少し悩ましいですなぁ…。最上司の事を第一に、将軍親政(親裁)の維持に努めた景時の気持ちもわからなくも無いけど、これを現代の政党政治に当てはめて党首ファーストにすると結構な害悪に至ってしまうんですよねぇ…。ただ、首相による統治と言う点では、「首相親裁」にするのが一番かも…。国の大事な事を、やたらに学者達・官僚達に任せきりにすると、今のような変態臭いマスク社会に成ったりもするし。
すいません、現代政治云々を持ち出してしまいました…。
梶原と比企が共に頼家の乳母を出してたとなると、共同するんじゃなくむしろライバル、実権握るのは一人でいいと敵対するほうが、鎌倉っぽい(今回の大河っぽい)とも思えます。
義経がつき頼朝がこねし餅を喰らうは時政親子ってとこか🤔
タイムリーな深掘り!
悪気はないが、敵を作りやすいタイプでもあった。
三成にも言えることだが、私利私欲では動かないが頑固で誤解されやすく、誤解を解こうとしなかったから嫌われ者だらけになっていった。
頼朝にとって梶原景時は、石橋山の戦いで洞穴に隠れていた自分を見逃してくれた命の恩人である。
景時は頼朝の良き理解者のような存在で、有力御家人の上総広常を謀反の疑いあり、とのことで暗殺した。景時は、義経の数々の問題行動(義経が頼朝の承諾なしに後白河法皇から官位を貰ったり、屋島の戦いで景時と義経が口論したこと等)を頼朝に報告した。
梶原景時は、1192年、侍所と言う組織(御家人の指揮、警察、罪人の取扱い等担う組織)のトップに選ばれた。
景時の任務は、御家人の動きを監視し不測の事態に備えること。御家人から見れば、常に景時に監視されており、景時をあまり良く思っていなかった。
上総広常を誅殺したことも含めて、景時が徹底して頼朝の代わりに嫌われ役を引き受けているのは興味深い。頼朝が景時を信頼している確固たる証拠だが、御家人の景時に対する不満は次第に溜まっていき、最終的に景時は暗殺されたと言われている。
1199年、頼朝が亡くなると、息子の頼家が2代目の鎌倉幕府将軍になった。頼家は、優秀な若者として成長したが頼朝と違い、政治的な能力は無かった。頼朝の幼少期と違い、頼家の幼少期は順風満帆な生活だったということもあり、御家人の気持ちが理解できなかったのであろう。これに御家人たちは大激怒。それでも、景時は主君の頼家に仕え続けた。そして頼家も景時を信頼した。しかし、そのことで景時は御家人たちからますます嫌われるようになった。
その後、景時は、自分の所領だった播磨に向かおうとしたが駿河で襲撃を受け命を落とした。
梶原景時は石田三成と似てる所がありますよね。政権を大事にするあまり周りから嫌われるところとか。