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【動画】NHK大河ドラマ「光る君へ」第26回 6月30日放送「宣孝の驚きの新婚初夜」「彰子入内」「倫子呪詛」あらすじネタバレ解説藤原道長(柄本佑)まひろ(吉高由里子)藤原宣孝(佐々木蔵之介)藤原彰子(見上愛)

NHK大河ドラマ「光る君へ」第26回 6月30日放送、「宣孝の驚きの新婚初夜」「彰子入内」「倫子呪詛」あらすじネタバレ解説藤原道長(柄本佑)まひろ(吉高由里子)藤原宣孝(佐々木蔵之介)藤原彰子(見上愛)

動画をごらんいただき、ありがとうございます。NHK大河ドラマ「光る君へ」第25話では、ついにまひろと宣孝が結婚し「新婚初夜を迎えます」がまひろはどんな心境でその初夜を迎えたのでしょうか?そして、その後のまひろと宣孝の結婚生活とはどうなっていくのでしょうか?
今回は少し、雰囲気を変えておおくりだせていただきたいとおもいますが、小さなお子様には適さない表現がごくわずか、ございますのであらかじめご了承ください。

6月30日放送、第26回のあらすじと、まひろと宣孝の結婚生活とその後の暮らしについて解説していきたいと思います
第26話では998年10月1日 日食と地震が同日に都を襲い、為時の屋敷も地震で崩れていまいます。そして、大水と地震の被害で都ではたくさんの死者がでて、道長は被災者の救護にあたりまが、道長が安倍晴明を呼びつけ、この天変地異はいつまで続くのかとたずねると、晴明は、「一条天皇の心の乱れが原因で、それが収まれば天変地異も収まるでしょう」と道長にいいます。そしてさらに晴明は「左大臣様は、良きものをお持ちと申しました。良きものとは、左大臣様の一の姫、彰子様にございます」といい彰子を一条天皇に入内させれば、事態は好転するでしょう」といいます。しかし彰子はまだ、11歳と幼く無口な娘でしたので、道長は姉の詮子に相談すると、「晴明のいう通りにしなさい」といわれ、そのことを妻の倫子に話します。

しかし、倫子からは猛反対を受けてしまい「どうしても入内させたいなら、私を殺してからにしてくださいませ」と怒りあらわにしてしまいます。しかし、道長は、晴明の言葉を信じて、彰子の入内を決行しますがちょうどその頃、一条天皇と定子の間に、新たな子供ができたという知らせがはいりさらにその定子の子の出産日が、彰子の入内日と重なってしまいそうだとわかります。すると倫子は道長に「そのこを呪詛するように」道長にといいますが
それに対して道長は・・・
という、まさに不吉なことが次々と起こっていきます。

正式に結婚の契(ちぎり)を交わした、宣孝とまひろですが、宣孝は、たびたびまひろの元を訪れて、仲睦まじく過ごしていまきます。しかしある日、ある事件がおきまして、二人は大喧嘩をしてしまうわけです。この事件につきましては、前の動画でもう、お話してしまっておりますので、まだ見てないという方は「紫式部、まひろの娘「賢子」は、宣孝の子でなく道長の子だった?という動画で詳しく解説していますのぜひそちらをごらんください!

そして、その喧嘩で、まひろと宣孝は口論となり、まひろは、火の付いたお線香の炭を、宣孝に投げつけて、追い返してしまいそれっきり宣孝は、まひろのところには来なくなってしまうんです。火の付いた炭を投げつけるって、相当、カットなんたんじゃないかとおもいますがそれを見かねた、いとは、宣孝さんにあやまったほうがいい、といって宣孝に手紙を書くようにすすめるわけなんですがまひろは、悪いのは宣孝殿だと、いっこうに折れないわけなんです。
そこでいとは「思いをつらぬくばかり、己を貫くだけでは、誰とも寄り添えませんよ」とまひろを諭します。そして、まひろは、気晴らしに、糸と乙丸、福丸、きぬを連れて、以前、さわと言った石山寺に気を沈めに行くわけなんですが、その石山寺で、道長と偶然ばったり再会して、今後のドラマ展開を大きく左右する出来事が起きてしまいます。
以上が、26話の内容になっていますが

偶然とは、必然ともいいますが、このカットしているときに運命の人と再会して、優しくされたら、まあ、だいたい人は、流されてしまうんですが果たしてこの先どうなるのか、27話に続いていきます

そして気になる、まひろ宣孝の結婚生活なんですが、この26話で、2月頃に喧嘩別れしたあとに27話でまた仲直りして復縁し、夏頃に、まひろに子供が出来たということがわかり、宣孝は喜び、まひろの体をいたわったと書いてありますが、その後28話ではほんと登場せず、29話では、宣孝が亡くなったという知らせがまひろのもとに届くわけなんです
この間の二人の関係が、ほとんど描かれていませんので、どういう結婚生活だったのかが、まったくわからないのですが、平安時代はもともと、夫が妻のところに通い、たまに旦那さんが家に帰ってくるというライフスタイルでしたので宣孝の場合は、まひろの他に4人も女性がいたわけですから、紫式部集に残された、歌の内容からしても、結婚後まもなく、宣孝の夜離れが生じ1番の新妻のまひろとしては、数多い妻の一人として、どういう位置取りに捉えたらいいのか、非常に戸惑っている様子が読み取れます。おそらく、その期間から、物語を書いたり、子育てもありましたから、決して華やいだ結婚生活ではなかったとおもいますがまひろは、教育熱心で、賢子に「竹取物語」を読み聞かせしたり、妻というより、母として生活を送っていたようにみられます。

そしてその様子を読み取れる紫式部と宣孝の折々の交流の様子を詠んだ歌は、いくつかありますが、これといって特別多くもなくまひろにとっては、恋愛というよりか、気楽な構えで、行動することができる、身近なおじさん的存在でもともと子供の頃からよく知っていましたし関わりを持つことをも、拒むような嫌悪感も抱いてはいなかったと見られています。
ともと、宣孝という男性は、二十歳も年上で、既に何人もの妻がいて、まひろと同年代の子もいましたし、さらにまひろへの求婚中も近江守(おうみのかみ)の娘にも手を出すような男ですか、初婚のまひろからすると、もっと愛情を持って接してほしかったという思いが強かったのではなかいとおもわれます

そこでいくつか、紫式部が宣孝のことを詠んだと思われる和歌がありますのでご紹介したいとおもいます。
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1つ目は『紫式部集』に収録されている和歌で
「いるかたは さやかなりける 月影を うわのそらにも 待ちし、酔いかな」
この歌は、紫式部が藤原宣孝との恋愛関係において疎外感や嫉妬を感じていた時期に詠まれたと考えられています
この和歌は、宣孝が、まひろの元から、他の女性のもとへ帰っていく姿をはっきりと見送ったという描写でこのことから、紫式部は宣孝の行動を察知して、寂しさを感じていたことがうかがえます。紫式部は「早くに母親をなくして、さしみしい子供時代を送っていましたので、愛情に飢えていて、「うはのそらにも 待ちし宵(よい)かな」では、心が上の空で落ち着かない状態を指して、宣孝を待ちわびていた夜が虚しく感じられたことを表しています。

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そしてもう1つ
「垣ほ荒れ さびしさまさる とこなつに 露おきそはむ 秋までは見じ」
この和歌は、紫式部が藤原宣孝との結婚生活を送っていた時期に詠まれたと考えられていて宣孝は、紫式部の夫でありながら他の女性にも通ういわゆる「通い婚」の関係でしたので紫式部の邸宅の垣根が荒れ果てて、そこに訪れる秋を詠んだものと考えら紫式部の心の内にある深い孤独や絶望感が表現されています。

この歌も、紫式部の歌集である『紫式部集』に収録されています。こうした和歌からも、二人の関係は、いずれ心が離れていってしまうということが読み取れます
今回は、紫式部と宣孝の結婚生活について、解説をさせていただきましたが
まひろにとっての結婚、宣孝との初夜は、人生でもとても深い悲しみへの第一歩であり
この体験が、のちの源氏物語の執筆に影響を与えたものだと考えれています。

本日も、最期までご視聴ありがとうございました
また次回動画もお楽しみに
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参考資料
NHK出版「光る君へ」後編
国文学研究資料館所蔵
NHK(C)