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NHK大河ドラマ「光る君へ」第34回 9月8日放送、土御門襲撃事件!藤原道長邸が3000人の武装僧に包囲!彰子の命が狙われた平安時代の激震事件!公式ガイドブックあらすじネタバレ解説、興福寺別当の定澄、藤原道長(柄本佑)まひろ(吉高由里子)藤原彰子(見上愛)嫡男の藤原頼通(渡邉圭佑)
今回のテーマは「藤原道長邸包囲!平安時代の激震事件」と題しまして、9月8日放送予定 第34回のあらすじとドラマ展開の解説をお届けさせていただきたいとおもいます
第33話では、まひろは彰子の女房となって彰子のいる藤壺に住み込みで物語を書くことになりましたが、他の女房たちとの折り合いがつかず実家に帰って作品を書きたいといって、出仕後、わずか8日間でまた実家に帰ってしまいました。
そして物語が完成たら、お届けしますといってその4ヶ月後の1006年5月に、作品を書き上げ、道長の元へ届けますが、彰子や一条天皇が、待ちわびていて、そして、続きはまた、彰子のそばで書く決意を決めて、再び、藤壺で暮らすことになりました。
第34話は、その2ヶ月後の1006年7月に起きました、藤原道長邸を3000人の武装した僧が包囲する事件が起きまして今回は、この事件の詳細とあらすじについて解説していきたいと思います。1006年7月、道長の屋敷を3000人の武装した僧が取り囲む事件がありました。これは奈良にあります、興福寺別当の定澄(じょうちょう)という僧侶が道長の屋敷を訪れて
「大和守、源頼親(みなもとよりちか)が寺にきて乱暴を働いてる」といって、これをやめさせるようにすぐに陣定めを開いて話し合ってもらえないかと訴えかけるわけなんです。
そしてさらに、すぐに訴えをかけなければ、この屋敷を焼き払うぞと、道長を脅して「すでに、興福寺の僧兵3000人が木幡山に集結していて、自分の合図でいつでも襲撃をかける」と道長に詰め寄るわけなんです
道長は、「やれるものならやってみろ」といいこれは許しがたい暴挙だといいますが、その場を収めるために「わかった、審議する」と約束するわけなんです
この道長のところに来た興福寺の別当の定澄(じょうちょう)という僧侶ですが別当とは寺の職務を総括した僧のことで、興福寺と頼親(よりちか)は以前から所領を巡って争いを続いていてこの争いで、興福寺の僧が一人死亡しているんですね。
そして、寺側はその報復で頼親(よりちか)の家来の右馬允当麻為頼(うまのじょうたいまの、ためより)の屋敷と畑を焼き払った経緯があるわかんです!
道長としても、過去に屋敷を焼き払われた事実がありますから、あんまり邪険にはできないとしてすぐに翌日、緊急の陣定めを開いて相談をするわけなんです。すると隆家は検非違使を使って追い払えばいいといいますが、実資と道長は武力制圧は、被害者がでるから反対だといってなんとか話し合いで回避できないかと相談していたところ、「左大臣様、大変です、武力集団が続々と大極殿(だいごくでん)前に押し寄せて着ています」といって、大騒ぎになるわけなんです
位置関係を確認しますと
大極殿(だいごくでん)は朝堂院の北端中央にあり宮内の中心的施設で、最も重要な政務や儀式を行う場所なんです。今で言えば、国会議事堂を包囲するような事件なんですね。
そして、内裏内にも攻めてくると思った藤原斉信は、藤壺の女房たちに彰子を守るようにいいますが女房たちは、うろたえるだけで、そこでまひろは、陣頭を取って、帝の側なら安全だと清涼殿に移るように提案するんです。
そして清涼殿に避難すると一条天皇は彰子に「父の左大臣対応するから安心しろ、中宮として胸をはっていなさい」といわれ。、その凛々しい帝の姿を見て、彰子はキュンとしてしまうわけなんです。そして一条天皇は道長の勧めで、検非違使を差し向け、僧兵を追討させ、僧兵等は南部に戻ってなんとか僧たちは追い払ったんですが、定澄(じょうちょう)はその後も土御門の屋敷まで来て「訴えを繰り返す」わけなんです
簡単に内裏内の、まひろがはたらいていた後宮(コウキュウ)の位置関係を説明しますと後宮(コウキュウ)は七殿五舎(しちでんごしゃ)から成り立っていまて先程出てきました清涼殿(せいりょうでん)は一条天皇の生活空間で、ここなら安全だろうと彰子が住んでいた飛香舎から避難させるわけなんです
この彰子の住んでいた飛香舎は庭に藤の花が咲いていて綺麗だったので藤壺とよばれていました。ちなみに、定子が入内後に住んでいたのは登華殿です。まひろがはたらいていた後宮(コウキュウ)は帝やお妃様が住んでいて内裏の北側にあって比較的、身内の人は出入りが自由だったので、伊周とかよく、定子のところにやってきたりしていました。また女房たちも実家にかえったり、お参りにいったり、出入りは比較的自由だったとみられます
今回、定澄(じょうちょう)がやってきました、道長の住まい、土御門殿(つちみかどどの)の位置は内裏の東側に位置していたとされています。
具体的には土御門殿は内裏の東側、つまり清涼殿や仁寿殿などの北東方向に400m位の位置だと考えられます。
もともとは、正室の源倫子の父左大臣、源雅信の邸宅で、そこに結婚して道長が住んだという形になります。興福寺と源頼親の対立についてですが
興福寺は奈良時代以来の有力な寺院であり多くの所領と政治的影響力を持っていましたので源頼親(みなもとよりちか)は大和国の国守としてその地域を統治していましたので頼親(よりちか)は興福寺の所領に対して何らかの干渉や乱暴を行っていた可能性があるとみられています。
頼親が(よりちか)どのような乱暴を行ったかについては、詳細な記録は残っていませんが、寺の所領や僧侶に対する圧力や強制的な行動があったとされています。
その後の展開なんですがこの事件の後、具体的にどのように解決されたかについての詳細な記録は少ないですが、藤原道長の介入や朝廷の調停があったと考えら道長は当時、非常に強い政治的影響力を持っていたため彼の仲裁によって事態が収束した可能性が高いです。
興福寺のHPをみますと、平安時代の興福寺は藤原氏の勢力増大に伴いその庇護によってますます発展した。と描かれていますのでまあ、道長としても、「ま~ま~」とお互いに、協力してうまくやっていったのではないかとも思われます。
そして1007年、都では藤原斉信や藤原道綱の屋敷が火事になり、敦康親王が病になったり、不吉な出来事が続きましたので8月にですね、嫡男の藤原頼通(ふじわら の よりみち)、明子の兄の源俊賢(としかた)をつれて吉野の金峯山に厄払いと、娘彰子の懐妊祈願に出発します。頼通は、おそらく15歳くらいになっていたかとおもいますがその道中でまた、道長を待ち伏せして、暗殺を企てる事件が起こるわけなんです。
この続きは35話へと続いていきます。
さあ、どうなっていくのでしょうか?
私は、歴史の研究科でも歴史を学校で学んだわけではありませんので、正しくない情報も含まれているかとおもいますのでこの事件についても詳しい情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらコメント欄で教えていただけたら嬉しいです。
そして、ここでお知らせんですが7月7日日曜日は、東京都知事選挙の結果速報のため、放送が休止となりますので、午後8時から特別配信としまして「光る君へ」七夕特別企画としまして、ちょっとした夏祭りのような企画を考えていますのでもしよかったら、リアルタイムで、見ていただけたら嬉しいです
本日は最期までご視聴いただき、ありがとうございました。
また次回動画もどうぞお楽しみに。
チャンネル登録、高評価もよろしくお願いします
6月30日(日)=第26話
7月 7日(日)=休止(都知事選)
7月14日(日)=第27話
7月21日(日)=第28話
7月28日(日)=第29話
8月 4日(日)=第30話
8月11日(日)=休止(パリ五輪)
8月18日(日)=第31話
参考資料
NHK出版「光る君へ」後編
東京ニュース通信社「光る君へ」Book2
国文学研究資料館所蔵
NHK(C)
木幡山はきはたやまではなく、こはたやまではないかと
定澄役は誰だろう…
年齢が高そうだから、柄本明さんだったら面白い😁
予想が当たる気は全くしませんが、山西惇さんや山路和弘さんも捨てがたい🤔
ドラマの道綱だと、屋敷が燃えても「屋敷が火事になっちゃったんだよね〜」とお菓子を食べながら話してそう🤣
国司と僧兵との対立は後に戦国大名と僧兵との対立と変わらないのかと思ってしまいます。とりわけ、信長と本願寺との対立は歴史に深く刻まれている。
うぽつ❗この事件はガイドブックを読むまで知らなかった😅僧兵達を抑え込む為には検非違使も含めての武力投入しないとヤバい…まひろちゃん強くなったなぁ😊清涼殿に避難誘導はいい指示だと思う。流石だわщ(゜ロ゜щ)道長様暗殺計画は伊周が企てたから最悪。何も成長してないし、反省してないのが質悪い(最近、伊周嫌いになってるんよ)