NHK大河ドラマ「光る君へ」第43回 10月27日放送、第43話あらすじネタバレ解説
藤原道長、藤原彰子、三条天皇との対立、妍子を中宮へ
※この物語は史実や歴史を元にAIが独自に推測した物語で、実際の放送内容と異なる場合があります
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1010年6月
惟規が越前で亡くなったことを知ったまひろは、惟規の嫁の藤原貞仲の娘と息子の貞職をつれ、越後へ向かいます。道長は自分が父、為時を越後に行かせたことで惟規までが亡くなってしまったことに責任を感じまひろらが無事に越後までいけるよう、籠とお付きを用意して、まひろを見送ります。
越後の為時の屋敷についたまひろらは、悲しみに更けていると越後守の藤原信経(ふじわらののぶつね)が訪れ体調不良を理由に、為時に国守を替わってほしいといいます。信経は単身で病と戦いながら職務を行ってきていましたが、病状も悪化し、その場で倒れ込んでしました。
為時は国守の役人を呼び信経の屋敷に送り届けさせますが屋敷には誰もおらず、惟規の嫁が、看病に当たることになりました。
数日後、信経の様態は安定して、まひろらは京に戻る日がきましたが、惟規の嫁はこの地にのこり信経の世話をすることになります。為時は、正式に越後守となり、佐渡に漂着した宋人の対応に当たります
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京に戻ったまひろは、彰子と道長の関係の異変に気づき、彰子に、道長様と何かあったのですか?と聞きますすると彰子は「夫の一条天皇の意を尊重して、定子亡き後我が子同然に養育した敦康親王の次期東宮擁立を望んでいましたが父、道長がそれを差し置いて敦成親王の立太子を後押しした事に不満を持って、父に話したが、話を聞いてもらえなかった」と話します
1012年 三条天皇は東宮に4歳の敦成親王を立て2月、道長は東宮時代の三条天皇に入内させていた次女の妍子を皇后(号は中宮)とします
当初、天皇は道長に関白就任を依頼するが道長はこれを断り続けて内覧に留任した道長は三条天皇とも叔父・甥の関係でしたが早くに母后超子を失い成人してから即位した天皇と道長の連帯意識は薄く天皇は親政を望んでいましたが妍子が禎子内親王を生んだこともあり道長と天皇との関係も次第に悪化していきます。
親政(しんせい)とは、天皇自身が「親(みずか)ら政治を行うこと」ですが実権は道長にあり、天皇の声はとりいれられず道長の三条天皇譲位へ向け、更に圧力がましていきます。
一方、三条天皇は妍子とは別に東宮時代から第一皇子の敦明親王始め多くの皇子女を生んだ
女御娍子(藤原済時の娘)も皇后(号は皇后宮)に立てると決めます。
そして娍子立后の儀式が行われますが
道長は・・・
この続きは次回動画で御覧ください。
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