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【動画】NHK大河ドラマ「光る君へ」第44回 11月3日放送、第44話あらすじネタバレ解説藤原為時の三女結婚、娍子立后の儀式、三条天皇譲位、東宮敦成親王が(後一条天皇)即位

NHK大河ドラマ「光る君へ」第44回 11月3日放送、第44話あらすじネタバレ解説
藤原為時の三女結婚、娍子立后の儀式、三条天皇譲位、東宮敦成親王が(後一条天皇)即位
※この物語は放送前のドラマ展開を史実や番組場を元にAIが予測して先読みした物語で実際の放送内容とは異なる部分があります。

参考資料
『小右記』長和3年6月17日の一文に「信経は前司の姪也。又聟也」
信経とは越後守の藤原信経(ふじわら の のぶつね)のことで

司とは役職名で越後守
この日記が書かれたのが長和3年(1015年)であることから
為時は1014年6月に任期を1年残しながら越後守を辞任し帰京し信経に譲っている。
すなわち、信経は前司(為時)の娘婿であるということが書かれている。
Wikipediaには藤原信経の欄に藤原為時の三女結婚と書いてある

この時点で為時の娘は紫式部か惟規の嫁の藤原貞仲の娘のどちらかである。
惟規が死後、為時が惟規の嫁の藤原貞仲の娘を養女として迎い入れた場合
藤原貞仲の娘を藤原為時の三女とみることができる
上記を前提に物語を推測しました

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1012年
越後国では惟規の妻の手厚い看病の甲斐があり信経(ふじわら の のぶつね)の病気が回復し
二人が結婚したという知らせがまひろのもとに届きます。
まひろは、自分の妹とであった惟規の妻を思い
「旅立ちの 春の梢に 散りぬれど 思いは変わらず 光る君へ」
という祝の歌をおくります。

1012年4月12日
三条天皇は娍子(すけこ)立后の儀式を模様しましたがその同じ日に道長は妍子の参内の日を重ね欠席することを決めると諸公卿もこれに従い誰も娍子立后の儀式に参列することなく寂しい儀式となります。三条天皇は病で休んでいた実資を呼び、急遽、病身をおし中納言隆家とともに儀式を取り仕切るよう伝えます。その後も道長の三条天皇への圧力は増していき三条天皇が娍子参内の行賞として娍子の兄の通任を叙任しようとした際道長は長年娍子の後見をしたのは長兄の為任であるとして通任を叙位しようとした天皇を批判最終的に為任を昇進させます。三条天皇と道長との確執から政務が停滞しこれに対して三条天皇は密かに実資を頼りとする意を伝えますが実資も道長と正面から対抗しようとはしませんでした

1014年
孤立した三条天皇は失明寸前の眼病にかかり、道長から「目が見えないなら、政務に支障が出る」という理由で譲位を迫ります。天皇は道長を憎み譲位要求に抵抗し眼病快癒を願いしきりに諸寺社に加持祈祷を命じますが道長はさらに強く譲位を迫り眼病も全く治らず三条天皇は遂に屈し自らの第一皇子敦明親王を東宮とすることを条件に譲位を認めます

1014年6月
藤原為時は、体調を崩し、任期を1年残しながら越後守を辞任し帰京に戻ってきました。その後、越後では、信経が越後守に再任され惟規の妻は惟規が果たせなかった国守の夢を国守の妻と言う形で叶え、墓前で報告をします

1016年正月
三条天皇は譲位し東宮敦成親王が(後一条天皇)として即位し2月7日に数え8歳で即位し幼帝のため道長が摂政となりついに政権を独占する最高権力者となりまひろとの約束を果たします!

しかしこの年の7月
土御門殿が火災で焼失する事件が起こります。
そしてその火災で、まひろは!

この続きは次回動画で御覧ください。
本日は最期までご視聴いただき、ありがとうございました。
また次回動画もどうぞお楽しみに。
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